仙石庭園の造成を終えて感じていること

人間は生まれるときも死ぬときも一人。手には何も持っていない。古の権力者は自らの死後、副葬品として、自分の権勢時を偲ばせるものを埋葬している。人の定めの死という当たり前のことが迫ると人々は考え、迷い、いろいろな方向に走る。宗教などがそのいい例だろう。神仏は人と共にあると私は石碑に記した。意味はお分かりであろう。石は地球の一部。宇宙と共にある。私は石に走った。石と接して初めて心の安寧を得られたからだ。仙石庭園という大庭園を自ら額に汗して造り、造園の何たるかを理解できる水準に達していると自覚している。

しかし、私は根っからの医師・医業者だ。先祖から良い仕事をもらったと片時も感謝を忘れたことはない。子々孫々、医業に関わってくれることを願っているのはそのためだ。私が創った病院・医業グループも長い間にはどうなるか私にはわからない。私自身の存在すらもどうなるかわからない。しかし私が創った石庭が私の煩悩に回答を与えてくれそうだ。仙石庭園の完成時にはそれは確信に変わっていた。手には何も持たずにあの世に旅立てそうだ。仙石庭園が末永く人々に憩いを与える場になればと念願している。